子どもから学んだこと

ある方のブログを読んで思い出した話です。
子どもから学ぶことってあるなと、子どもに何かを考えさせられることってあるなって話です。

私は歩いていて、よく子どもにぶつかりそうになります。
正確には、まわりの景色とか建物などに夢中になっている子どもが私にぶつかりそうになるんです。

以前、水族館に行ったとき、「トンネル型の水槽」で、周りの魚に夢中になってた子どもが、私の前方から来て、私にぶつかりそうになった時に、その子の母親が

『前見て!』

って言ったんです。

ほんとに、ささいな事なんですけど。

私には子どもはいないんですけど、もし子どもがいたら

『危ないよ』とか『〇〇〇(子どもの名前)』

とか言っちゃうと思うんですよ。

別にそれでもいいんでしょうけど、『前見て』っていう言葉には、
「前を見て、危ないことに『自分で』気づきなさい、そして、その危険を『自分で』避けなさい」
って大げさかもしれないけど、意味があると思うんです。
(その子の親はそんな思いで言ったわけではないでしょうけど。。。)


今って、子どもが少なくなってきているから、いいかどうかわかりませんけど、親が一人の子どもにかける時間が増えてきているなって思います。「子どものため」っていう思いが強すぎて、子どもの自立とか自分で物事を考える力が育つのを抑え込んでるような気がするんです。
モンスターペアレントとかのニュースを見ると、「子どもはどう思っているのか」とか「本当それは子どもの」ためになっているのか」などと考えてしまうんですよ。
(必ずしも、みんながみんなそうじゃないと思いますが。。。)

ただ、「子どもの自分で考え、気づいて、行動する力」と「親の思い(≒愛情)」とかその他諸々のバランスが大切なんでしょうけどね。

そんなことを考えました。


そういえば、大学生の時、スーパーの食品売り場でバイトしてて、たまに親とはぐれて迷子になる子どもがいて、そういうときってたいてい30~50代の女性のパートさんがうまく子どもに話かけて一緒に親を探したり、受付みたいなとこに連れて行って、店内放送で親を呼び出すんですよ。

で、ある時、迷子の子どもがいて、たまたまその時は、周りに女性のパートさんがいなかったんで、私と同じ大学の友達(同じ部門)がその子に話しかけたわけなんです。子どもの前に行ってしゃがんで子どもの目を見て。

『はぐれちゃったの?一緒にさがそうか?』

そしたら、その子完全に友達をスルーして行ってしまったんです。

私・友達『…………………』

そのあと、その子はすぐ母親と会えたんでよかったんですけど、この迷子になった子は、母親とお姉ちゃんと来ていたみたいで、


母親『どこいってたの?』

子ども『……(半泣き)』

母親『だめでしょ、勝手にどっか行っちゃ』

姉『私は、大丈夫だよ。学校で知らない人に話しかけられても、話しちゃいけないし、ついていったら危ないって先生から言われてるもん!』

私・友達『…………………』




‥‥やはり、子どもから学ぶことは多いです。